会部
成人式の後のあれやこれや
リコさんへ捧ぐ
「狭いけど、どうぞ」
はじめて足を踏み入れる場所だというのに、中に入った瞬間感じたのは、なんともいえない懐かしさだった。
「……どうしたんだい?」
「あ、いや、」
声をかけられてハッとして、靴を脱ぎ部屋に上がった。
奴が口にした通り、そこは決して広いとはいえなかった。ワンルームマンションの一室なのだから、当たり前といえば当たり前だ。物が多いわけではないが、必需品だけで埋まってしまっている。まあ、狭いとはいっても大学生の一人暮らしとしては順当な部屋といえるだろう。狭くてものが多い割になんだか落ち着くのは、それらがきちんと調えられているからだと思う。
ああ、そうか。
部屋の几帳面な空気が、高校の頃のこいつの部屋と変わらない。だから、懐かしく感じたんだな。
そう思い当たって納得すると同時に、なんとなく面映い気分になった。俺があの頃こいつに依存していたことを思い出してしまったからだ。今もそれはあまり変わらないかもしれないが。
奴はベッドに腰掛けている。促されるまま隣に座れば、おずおずと奴が口を開いた。
「あのさ、なんか飲む? コーヒーくらいしかないけど」
「いや、いい」
「そっか」
妙な沈黙が流れて、どうにも気まずい雰囲気が流れる。
別に会うのが久しぶりってわけじゃない。ついこの間、成人式で顔を合わせたばかりだ。それからまだ一ヶ月しか経っていない。だがその前は二年近く会わずにいたし、こいつとまたこうやって過ごせるとは思っていなかった。だから緊張しているのかもしれない。ガラじゃない自分に苦笑いが浮かんできそうだった。
「あ、あのさっ」
「ん?」
「食事まだだろ? 何か作るよ」
言うが早いか、立ち上がった奴はキッチンへ足を向けた。だが、すぐさまとってかえす。
「あ、そうだ。はい」
差し出されたものは、シンプルな灰皿だった。そんなものが奴の家にいるとき出てきたのははじめてで、少し面食らう。
「吸うだろ?」
「あ、ああ」
コトリとテーブルの上にそれを置き、奴は今度こそ台所へ消えた。思わずそこに置かれた灰皿をじっと凝視してしまったのは、意外すぎたからだ。家族にも吸う人間はいないと言っていたかつての奴の部屋にはこんなものはなくて、俺は空き缶やらを灰皿代わりに使っていた。それを覚えていたから今日だって自販のコーヒーを買ってきている。
それなりに使い込まれているそれは、つまりタバコを吸う人間と恒常的な付き合いをしていたということだろう。社交的に見えて他人と距離をとりたがり、余計なものを部屋に置きたがらないあいつの性格を考えれば、近しい相手だということが如実に窺える。それがただの知り合いや友人に留まらないだろうことも。
ざわりと、嫌な感じがした。
長く離れていたのだから、ある意味当たり前のことだと認識はしているが、なんだか面白くないのは確かで、深く考えないようにした。あいつが離れていった理由は自分にあると認めたはずなんだが、グチグチと恨み言を口にしてしまいそうで嘆息する。タバコに手が伸びかけたが、結局やめた。
吸うにしても、この灰皿を使う気になれない。
「ったく……」
たぶんあいつは、皮肉でも当てこすりでもなく、もちろん嫉妬させたいなんて思っちゃいない。あるから出してきただけ、なんだろう。そう思えば余計に、自分の狭量さが嫌になった。
そこへ、ぎこちない笑顔を浮かべながら奴が戻ってくる。
「あと少しでできるから」
「……ああ」
なんとなく目を合わせられずに微かに視線を傾けると、少し距離を開けて奴が俺の隣に座った。
トン。
どこか聞きなれた軽い音に目を向けて、そいつが持っているものに驚く。
安っぽいライターを取り出して、タバコを咥えて火をつける動作は淀みなく、ずいぶん慣れた手つきだった。
「お前、タバコ吸ってんのか?」
「え……ああ、うん。たまにね。キミは吸わないのかい?」
禁煙してるんだったら僕もやめておくけど、とあっさり続けられた言葉に、戸惑いが隠せない。
「いや、そういうわけじゃねえ」
「そっか」
じゃあ何で吸わないのかと尋ねられるかと思ったが、特に言及するつもりはないようで会話は途切れた。薄い煙が奴の口元から漂う。その様を不思議な気分で見ていた。高校のときからしてみると考えられない変化だ。
「……僕の顔に何かついてるかい?」
ぽそっと呟かれて、奴を凝視していたことに気が付いた。
「いや、別に」
「そっか。ならいいけど」
そう嘯く奴の目元が微かに赤くなっている。それを可愛いと感じてしまった辺り、俺はどうかしている。
溜息をつきたい気分だったがそれを振り切って、話題を変えようと奴の手からタバコを取り上げた。
「あっ」
「何吸ってるんだ?」
見れば、思ったよりずいぶん強いのを吸っている。最近地元じゃ自販で見かけなくなった銘柄だ。懐かしさを覚えて、言葉が口をついた。
「俺が高校の頃に吸ってたやつだな」
「うっ」
「ん?」
いきなり呻いたからそちらを見やれば、視線が絡む前に顔をふいっと背けられた。かあっと顔が赤くなったかと思うと、見る見るうちに耳まで真っ赤になっていく。
「た、たまたまだよっ」
慌てて上擦った声が耳朶を打ち、そこに宿った感情が垣間見えた。
……なるほど、そういう話か。
「たまたま、か」
「な、なんだよ。何か言いたいことがあるならはっきり言えばいい!」
「いや、別に?」
ニヤニヤ笑ってみせると、あからさまにムッとして、けれど反駁はせずにタバコを灰皿に押し付け立ち上がる。
「食事とってくる」
顔を真っ赤にしたまま不機嫌を絵に描いたような面持ちでそう告げると、奴は台所へと消えていった。
やばいな、笑いが止まらん。
奴が置いていったタバコの箱を手にとって、一本引き出す。火をつけて深く吸い込めば、懐かしい匂いがした。
あいつがこれに手を出すようになったきっかけに思いを馳せれば、なんとなく気分が上向いた。現金なもんだ。ただの勘違いかもしれないのにな。
まあ、本当の理由がどんなものでも別に構わない。
あいつは今、俺といる。ようはそれだけの話だ。
コメントの投稿