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長門有希の愛好

A5 P36 400円 20090118発行
長門有希×コンピ研部長氏
女装注意

表紙:冴木みやこ様

書店委託:とらのあな K-BOOKS 82b.jpg


 文芸部室の前に立つと、なんとなく緊張するのはいつものことだ。こくりと唾を飲み込んで、襟を正した。
軽くノックをしてから声をかける。
「長門さんいるかい?」
「いる」
 端的な返事に、僕は文芸部室のドアノブをまわした。
そして、プログラムを修正している最中に不具合が見つかったので、長門さんの助力を仰ごうと思ってきたことを告げようとしたのだが……目の前に展開されている光景に、僕は呆気に取られた。
 ──いったい何が起きたら校内でこんなことが起こり得るのか、誰か僕に説明して欲しい。
いつもだったら一番まともな説明してくれそうな人物は苦虫を潰したような顔で口を噤んでいる。その隣でにこにこと人のよさそうな笑顔を浮かべている人物ならまだ話が出来そうな気もしたが、いかんせん不機嫌極まりないオーラをその身に纏った人物が傍にいるもので、おいそれと近づけそうにない。そうなってくると、隣のクラスの美少女に話しかけるのが最適かと思われるけれど、彼女は彼女で、何やらわたわた慌てていて話しかける雰囲気じゃない。
そうなってくると残る対象は二人だけど、じっとこちらをビー玉みたいな瞳で凝視している彼女にこの状況説明しろといっても無理難題を突きつけるようなものだし、もうひとりに至っては日本語を話しているはずなのに日本語が通じる気がしない相手だ。
 嫌な予感だけはふつふつとしている。できれば今すぐ回れ右をしたいところなのだが……そうしたところですぐに捉えられるのがオチだろう。野生動物は逃げると追ってくるものだ。男として非常に情けない話だとは思うけど、僕は目の前で満面の笑みを浮かべている少女のことを天敵だと考えている。これまで一度も勝てた試しがなく、今では絶対服従を誓わされている相手なのだ。残念ながら、僕に常識という観念がある以上、それは絶対覆せない規定事項ではないかとさえ思われる。
 ちらりと男子諸君に視線を向けたら、みんなにキョンと呼ばれているほうの後輩がこっちを見るなと言わんばかりに睨みつけてきた。まあ、確かに普通だったら見られたくない格好だろうとは思うので、気まずさを感じながらも素直に目をそらして、長門さんに向き直った。
「ちょっといいかな。チェックだけ頼みたいんだけど」
「有希、確保!」
 僕の声を遮って、高らかに涼宮ハルヒが叫ぶ。
 何だ? と思う暇もなく、トコトコと歩いてきた長門さんに腕を取られた。
「な、長門さんっ?」
 ぎゅう、と両手でしがみつかれる。ふよんとした感触に、一気に顔が熱くなった。胸、胸が当たってるから!
「は、離してくれ……っ!」
 なんとも情けない悲鳴を上げた僕に、長門さんの無機質な視線がちらりと向けられた。しかし目に見えた動きはそれだけだ。
 黄色いリボンカチューシャが、ひらひら揺れた。
「ちょうどいいわ、あんたも何か着なさい」
「はあ?」
 何を言ってるのかさっぱりわからない。けれど僕にとってよくないことが起きていることだけは辛うじて感じ取れた。
「ちょ、離してくれ! 長門さん、長門さんってば!!」
「有希、そのまま捕まえててね」
 その声は死刑宣告のように聞こえた。
 振り払おうにもしっかりしがみつかれているので、迂闊な振る舞いをするとその細い体躯を思えば怪我をさせてしまいそうで躊躇われる。とはいえこのまま手をこまねいていたら、大変なことになるのは間違いないだろう。
背中を冷たい汗がつぅっと流れる。
 焦って長門さんを見やると、凪いだ海のように静かな瞳にぶち当たった。じっとその視線で射竦められて、思わず虚を突かれた僕は、あっさり抵抗できなくなってしまう。
「そうねえ、何にしようかしら」
 涼宮ハルヒはイキイキと目を輝かせながら、大量の派手な衣類っぽいものがかかったハンガーラックをガサゴソと漁っている。
やばい、あれは本気だ。
本能的な恐怖を感じて、長門さんを引き摺ってでもこの場を去る決意を胸に刻む。
しかし、……それを実践することは叶わなかった。
「……え、なんで?」
 結構な力を入れても、長門さんがピクリとも動かないのだ。どこからどう見ても薄くて細くて軽い女の子の身体のどこにそんな力があるのかはわからない。だけど、この窮地から今すぐ逃げ出すことが出来ないことだけはすぐさま理解できた。
「うーん……どうしようかしら……」
 ああでもないこうでもないと涼宮ハルヒは思い悩んでいるようだ。冷や汗がたらりと伝う。
そのまま悩んで下校時間になってしまえ!
そう願ってはみたけれど、下校を告げる鐘が鳴るまで、ゆうにあと一時間はある。多少の時間をかけて涼宮ハルヒが悩んだところで、この難をまぬがれることは出来ないだろう……絶望に近い確信に、頭がくらりとした。
「キミたちも何とか言ってくれ! 僕は部外者だぁっ」
「たまにはこういう経験も面白いものですよ」
 にこやかにそう言ってのけたイケメンは、まったく頼りになりそうにない。ならばもうひとり、キミなら話がわかるはずだ!
「──部長さん」
 ぽそりと呟くような声色に、心の底からほっとする。彼なら……そう、彼ならきっと涼宮ハルヒの暴虐を諌めてくれるに違いない! 今までだって、あまりにも彼女の要求が道理を得ないひどいものだったときはそうしてきてくれた。もちろん今回だってそれは適用されるはずだ。そう確信する。
「一蓮托生って、知ってますか」
「……へ?」
「頑張ってください」
「ちょっ、えええええっ」
 妙に爽やかな、どこか吹っ切れたような笑顔を向けてくる彼は、普段見かける無気力さを前面に押し出したような人物とまるで別人のようだった。
キミは、キミだけはっ、それなりにまともだと思っていたのに! ちくしょう、騙されたぁっ!! 結局こんなところに出入りしてる人間にはろくな奴がいないってことなのかっ!
 最後の望みをかけて朝比奈さんに視線を向けてはみたけれど、彼女はさきほどからずっとおろおろするばかりだ。それどころか僕と目が合うやいなや、そっと目をそらされてしまった。俯いたままぎゅっと目を瞑って身を硬くしている。
……こ、ここに僕の味方は誰一人としていない。
 がっくりと肩を落とす。俯いた視線の先に、ふわりと柔らかそうな髪の毛が映った。
今頃はとっくに部室に戻って、長門さんに助力を仰ぎつつのんびりプログラムを打ってるはずだったのに……なんでこんなことに……。
 長門さんは普段からすごく可愛くておしとやかで、僕のいうことなすこと全て受け入れてくれる、男にとって理想的すぎる僕にはもったいないような女の子だけど、涼宮ハルヒが絡むとまったく話が違ってくる。僕より涼宮ハルヒを優先するのは今に限ったことではないし、さっきから僕が離して欲しいといってもがっちり捉えられていることからもそれは窺える。説得しようとしたところで、徒労に終わるだけだろう。
それでも真摯に訴えれば聞き入れてもらえる可能性はあったが、そうすることで涼宮ハルヒの不興を買うことがとても恐ろしい。
 かくして僕は、涼宮ハルヒの本日三番目の玩具に成り果てたのだった。

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