A5 P32 400円 20080316発行VOICES
表紙:長谷川 楓さん
かぜっぴき弱り中の古泉×お兄ちゃん通り越しておかんなキョン
表紙も中身もぴんくです、かわいーです
サンプル
いっそのこと、誰か俺をこのまま殺して楽にしてくれ。
そんな物騒この上ない本音が、思わず頭によぎってしまいそうになるくらい、気が狂いそうなほど熱くて長くて騒がしい、既視感だらけの夏が過ぎ去った。
現在は、やっと訪れたと思った涼しさを、すぐさま通り越してそこはかとない肌寒さを感じるようになってきた十月のはじめである。
今日に限って言うならば、ここ最近では一番の冷え込みとテレビのお天気お姉さんが言っていた。寒いというよりも冷たいと言ったほうがより近い外気に、俺は肩を震わせていた。
あとほんの少しで構わないから、もっと緩やかに気候の変化が訪れてくれないものだろうか、などと考えてしまうのは無理がないことだと言えるだろう。
実際問題、これだけ急激な気候の変化を起こされてしまうとなると、体のほうがついてきてくれなくなってしまいそうだ。
俺はいるのかいないのかよくわからない神(できれば涼宮ハルヒという名前とは、何の関わりもない神でお願いしたい)に向かって祈りを捧げてみた。
だが、もちろんその祈りは天に通じることはなく、寒さは日を追うごとにどんどん増していくばかりだ。
一気に移り変わってしまった気候に対して、やはり、というべきなのだろうか、体がついていけなくなってしまった者は多いようだ。
今日はこれまでにないほど欠席者が多く、クラスのそこかしこに空席が目立っていた。廊下を通る生徒の数が通常より幾分減って見えるのも、恐らく俺の気のせいではないのだろう。まるでインフルエンザでも流行っているかのようだ。
普段よくつるんでいる、バカな話ばかりを交わす相手のアホの谷口まで、どうやら風邪で休んでいるらしい。
それを朝のHRで知った俺は、もしかしたら明日の今頃は雪が降るのかもしれないな、などという少々友達甲斐のないことを考えてしまった。まあさすがにこの季節にこの辺りで雪など降るわけはないが。
さて、世間はそんな感じで、このままいくと学級閉鎖なんてことも起こりえそうな風邪のブームが到来しているわけだが、そんな中で俺自身はどうなのかというと、別に体調が悪いだの寒気がするだのということは特にない。特にないのだが……俺自身が寒さというものに対して、どちらかと言わなくても苦手なほうに属するので、この寒さに対しては非常に閉口していると言える。
まだ暑いほうが、いくらか我慢がきくような気がするんだがね。
それなり以上に着込んでいるというのにも関わらず、体の芯まで冷え込んでしまいそうな寒さに、追われるように足早に文芸部室へと向かう。
きっと今頃は、文芸部の備品の如く、常にそこでスタンバイしているんじゃないかと疑いたくなる確率で、いつでも部室に収まっている宇宙人が、部屋の中を暖めてくれていることだろう。
俺は早くストーブに当たりたい一心で足を進めた。
いつものように文芸部室の前で一旦立ち止まる。ここでノックをしておかないと、また幸運な事故に見舞われることになりかねない。一度だけ幸運な事故で朝比奈さんの着替えに出くわしてしまってからというもの、どんなに急いでいる時も欠かしたことのない作業である。さすがに二度目へのお目こぼしはないだろうからな。
こんこん、とノックをしてしばらく返事を待つ。
「はあい、どうぞ」
文芸部室の扉の向こうから、朝比奈さんのなんとも愛らしいお声が聞こえてきた。
どうやら既に着替えはすんでいらっしゃるようだ。
そう判断して扉を開ける。扉を開けた途端、冷えた体に心地よい温もりが俺を包み、ほっと息をついた。ドアを閉めると更に部屋の空気が温かく感じられて、縮み上がっていた体がやっと少し綻んだ。 生き返る心地だ。
定位置となっているパイプ椅子に腰掛けると、すぐにタイミングを見計らったように温かいお茶が極上の笑顔と共に差し出される。
「はい、キョンくん、長門さん」
「ありがとうございます、朝比奈さん。いただきます」
「ありがとう」
お礼の言葉を口にすると、嬉しそうでいてはにかんでいるような微笑みを見せる朝比奈さんがなんとも愛らしい。
「うふ、今日のお茶は秋摘みのお茶なんですよ。旬のものなの」
ほう。お茶にも旬とかあるものなのか、と感心しつつ一口いただく。
「いかがですか?」
「美味しい」
「とても美味しいです」
麗しき朝比奈さんの、期待に満ち満ちたきらきらとした目の輝きに、他に答えようがあるはずもない。
実際にそのお茶は、朝比奈さんの白魚のごときたおやかかつ可愛らしい指先を持つ御手が淹れたということを抜きにしても、本当に美味しいと思えるお茶である。
緑茶というものは渋くて苦いものという先入観があったのだが、朝比奈さんが淹れてくださるお茶は、すっきりした香りでほのかに甘く、飲みやすいものがほとんどだ。もちろん朝比奈さんが手ずから淹れてくれただけでもすばらしいことだが、お茶自体の味も素晴らしいものなので美味しくないわけがない。
俺はこの瞬間のために、毎日あの坂を上がる苦行に耐えて学校へ来ているようなものだ。
安穏と幸せに浸りながらのんびり茶をすすっている俺達の、その和やかな雰囲気をぶち壊しにする派手な音を立ててドアが開いた。
「ちょっと! 大変よ!!」
案の定、涼宮ハルヒだ。
ハルヒが血相を変えて飛び込んできた。
文芸部室のドアはいつの日か、こいつの手によって破壊されてしまうに違いない。
それにしてもハルヒがこんな風に何かを思いついたわけではなく、焦って慌てているような顔を見せるとは、ずいぶん珍しいこともあるもんだなと思いつつ、俺は声をかけた。
「どうした?」
「古泉くんが風邪引いて休んでるんですって!」
「そうなのか。あいつがバカじゃないって証明できて何よりだな」
そう返したら、ハルヒの奴が無駄に有り余った腕力で力いっぱい殴ってきやがった。
いてえ、なんて暴力的な奴なんだ。そのうち嫁の貰い手がなくなっても俺は知らんぞ。今ですらその奇行のせいで危ぶまれるというのに。
「あんたねえ、心配じゃないの? 古泉くん一人暮らししてるのよ? 少しは労わりの心を見せるぐらいしなさい、まったくもう」
ふむ。どうやらハルヒは、本気で古泉のことを心配しているらしい。
そんなハルヒを見て、俺は目を丸くした。次いで、なんとなく感慨深い気分になる。
人間変われば変わるものだ。お前はなんというか、少しばかり人を人とも思わないところのある情のない奴かと思っていたが、どうやらその認識は改めたほうがよさそうだ。
「こうしちゃいられないわ、これからみんなでお見舞いに行きましょう」
まじでか。
正直言おう。推測でしかないが、古泉が風邪で休んでいるというのは、さすがに仮病だと思うぞ。
確かに風邪を引いて休んでいる人間は多いから、古泉が風邪に罹った可能性がまったくないとは言えないかもしれない。だが、昨日あんなにも、それこそ長期休暇を目前に控えた小学生低学年並に元気いっぱいだった奴が、一夜明けたらいきなりぶっ倒れるというのは、時系列で考えるとかなりおかしい。
そして、仮病だったとする。
その場合、そんな嘘をついた原因は、なんとなく学校をさぼりたかったなどという、普通の男子高校生にありがちな可愛げのある理由である可能性はきわめて低い。古泉の抱えている特殊な状況ゆえに、そういった嘘をつかざるを得なかったと考えるのが自然だ。
そうなると古泉の自宅へ押しかけたところで、そこには誰もいませんでしたという可能性が出てくるわけだ。
だが、それをハルヒに直接言ってしまうわけには行かない。古泉の家に押しかけて、誰もいない状況を認識させるのもまずいような気がする。
俺は助けを求めて長門をちらりと見た。だが、我関せずと言わんばかりに、いつも通り読書に勤しんでいる姿が見えただけだった。
朝比奈さんに視線を向けたが「古泉くん……大丈夫かな」と呟いて不安げな表情をしているお姿を見るに、状況を理解しているとは思えない。
仕方ない、どうやら俺が自ら何とか誤魔化すしか、この状況を打開する方法はないようだ。
「あのな、ハルヒ」
「何よ」
「……病人が寝ているところへ、大人数で押しかけるっていうのはあまりよくないんじゃないかと思うぞ。余計具合を悪くさせたらどうするつもりだ」
ぴくり、ハルヒの吊り上がり気味の眉が更に吊り上がった。
「だいたい単なる風邪だとしたら、来週には平気な顔して出てくるに決まってるだろ。あまり大袈裟な真似をしたんじゃ、かえってあいつに気を使わせることになりかねない。俺はそう考えるが、どうだ?」
ハルヒは非常に珍しいことに、俺の言葉を最初から最後まで遮ろうとはしなかった。
俺が話している間、みるみるうちに眉を寄せ、口を尖らせはしたものの、いつものように大きな声を上げてなし崩しに自分のわがままを無理矢理押し通そうとはしなかった。
どうやら俺の口にした言葉を検討した結果、それなりの正当性があると納得したらしい。
「そうね、わかったわ」
どこか悔しそうなハルヒは、言葉を続けた。
「確かにあんたのいう通りかもしれないわね。あたしは別に古泉くんを困らせたいわけじゃないもの」
そうだろうとも。
俺は大きく頷いた。
「でも、何もしないってわけにもいかないわ。だって大切な副団長ですもの。そうだわ!」
不意に、さっきまで眉間に刻まれていたはずの深い皺が消し飛んだ。いったいどこにいってしまったのだろうか。
ぴしっと俺を指差したハルヒは、いたずらが何より好きなチェシャ猫のような笑顔を浮かべている。
こいつがこういう顔をしている時は、ろくなことにならないと身に沁みて知っている俺は、この場から逃げ出したくなった。
「なんだよ?」
きっとろくなことにならない。
そのことをきっちり理解していながらも、結局こうして問いかけてしまうのは、なんだかんだ言いつつ、俺がハルヒに対して甘いと古泉に言われてしまう所以なんだろうね。忌々しい限りだ。
「あんたがお見舞い行ってくればいいんだわ。それであたしに経過を詳細に報告なさい」
「ちょっと待て」
さすがにその提案に乗ってやることはできず、楽しそうなハルヒの言葉にストップをかけた。なんでそんな面倒なことを俺がしなきゃならないんだ。
「だって、古泉くんは礼儀正しくて紳士的だから、あたし達の内誰かに世話を焼かれたら気にしちゃうかもしれないでしょ。あんただったら男同士で気安いだろうし、いつも古泉くんにはお世話になってるんだからちょうどいいじゃない。日頃の恩返しだと思っていってらっしゃい、名案だわ!」
ちょっと待て。そこに俺の意思は尊重されないのか。
だいたいいつ俺が古泉に世話になったと言うんだ。
いや、まあ、なんだかんだ言って、そこそこ世話になってるという自覚はあるが、あくまでフィフティフィフティの関係だ。完全に一方通行なわけじゃないぞ。
だが、それを口にすることで、ハルヒが「仕方ないわね、それならあたしが行ってくるわ」なんてことを言い出すとかなり困った状況だということを俺は認識してしまっていた。
そうは言っても、昨日の今日だというのに、自分から奴の家へ行くというのはだいぶ抵抗があるわけだが……まさかハルヒに奴の家へ行きたくない理由を告げるわけにはいかないし、ただ単に行きたくないとごねたところで、古泉のことが心配でならないこいつが了承するわけもない。
どうしたものか考えあぐねていると、静かな声が響いた。
「行ってあげて」
長門だ。
振り返ると、ビードロのような透明さを称えた瞳が、真摯に俺を射抜いた。
「そうですね、キョンくんがお見舞いに行ってあげると、きっと古泉くんは喜ぶような気がする。あたしからも、お願いします」
長門に次いで、朝比奈さんにまでそう言われてしまったら仕方がない。
まあ、俺一人だったらどうとでも誤魔化しようはあるし、妥当な判断だろう。
俺は肩を竦めながら、ハルヒへと向き直った。
ええい、仕方ない。
「わかったよ、行ってくる」
諦めの境地に達して、深い溜息をついた俺を見て、ハルヒはにっこりと満面の笑みを浮かべた。その笑顔を見ていると、まあいいかと思ってしまう辺り、俺は本当にこいつに甘いな、と苦笑した。
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